リレーブログ | 社会福祉法人 鳥取こども学園 - Part 17社会福祉法人 鳥取こども学園 | Page 17

社会福祉法人 鳥取こども学園は、キリスト教精神にもとづいて創立されました。その基本理念は『愛』です。

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  • 第15回 『新年を迎えて 皆様へのメッセージ』 法人常務理事 藤野興一

    謹 賀 新 年

    「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」(ルカ:2-14)
    神様に守られ生かされて、新年を迎えられますことに感謝申し上げ、皆様の格別のご支援に心からお礼申し上げます。

     学園にたどり着く子どもたちも厳しい道をけなげに生きています。歴史の未来である子どもたちに真っ赤に燃える太陽のように輝いて歩んでほしいといつも祈ります。
     しかし、私たち大人の非力を痛感します。私たち自身が輝いて生き、子どもたちに生まれてきてよかったと思える世界を残したいと切に願います。
     一期二年の二期目を迎えている全国児童養護施設協議会会長の活動も、お蔭様で2015年4月から、あまりにも低すぎた施設最低基準を「社会的養護の課題と将来像」のレベルにまで引き上げることが出来ました。ご支援いただいた関係各位に心よりお礼申し上げます。

     40年振りに大幅な職員配置増の予算が付いたとは言え、70万人の保育士不足と言われる現状では、人材確保困難に遭遇し、児童虐待の増加や子育ての行き詰まりに対応できず、人材育成と施設養育の質的強化が緊急課題となっています。
     2015年度を初年度とする「社会的養護の課題と将来像(以下「課題と将来像」)」実現に向けた歩みを確かなものにしたいと願います。

     しかし私は、「乳児院をはじめとする施設は悪で、里親が善である。一刻も早く施設から子どもを救出して里親や養子縁組を進めるべきだ。施設は金がかかりすぎ、里親は安くつく。」という論調が声高に叫ばれ、一部の学者も含めて政治的働きかけも行われ、勢いを増していることに危機感を覚えています。「施設内虐待」も多く語られていますが、児童養護施設に29,000人、乳児院に3,000人、里親に4,000人が措置されていて、里親家庭での虐待死事件と施設での虐待死事件を比べても里親の方が数的にも多いのです。こんな議論はしたくありませんが、施設に金をかけなさすぎたので施設での人権侵害を生み出してきたのであり、虐待や貧困の連鎖を断ち切るためにももっと社会的養護に税金を投入すべきなのです。「課題と将来像」は国連の子どもの権利委員会からの3度に渡る日本政府への勧告を受け、施設と里親と連携して子どもたちを社会で守り抜く体制を作ろうとする国としての計画です。

     今、社会的養護を必要としている子どもたちは戦災孤児の時代と違い、90%以上の子どもたちに親がいます。どんなにひどい虐待を受けた子どもでも、親に対して「いい子になるから迎えに来てね」と言い、子どもは親を求めて止まないのです。児童虐待への対応は親への支援が欠かせません。施設や里親は子どもを預かって育てるだけではなく、児童虐待予防も含む地域児童福祉の拠点としての役割が新たに求められています。

     戦後70年、児童養護施設は戦災孤児の保護・収容から始まり、ベビーブームの頃には乳幼児を、「非行」がピークの頃には「非行少年」たちを、不登校や引きこもりが社会問題化すれば不登校児童を、今は被虐待児や発達障害児が社会問題化しており、その受け皿となっています。多くの児童養護施設は、戦後70年、社会的養護を担い続け、地域児童家庭支援・社会的養護実践における多くのノウハウを蓄積してきたと自負しています。

     施設は里親育成支援の役割を果たしうるし、手厚い里親支援がないままに施設をつぶして里親へ移行せよとする主張は無謀であり危険です。大舎であろうが小舎であろうが里親であろうが養子縁組であろうが子どもの人権は守られねばならないのです。今、子どもたちの人権は学校でも施設でも地域でも家庭でも極めて危機的状況にあるのです。施設に繋がっている子どもはまだマシで、地域に放置されている子どもたちがもっとピンチだと言わねばなりません。
     2016年が日本の社会的養護にとって新しい地平を切り開く年となりますよう共に歩みたいものです。今年110周年を迎える鳥取こども学園はキリスト教社会事業の献身性と先駆性を掲げてその先頭に立って歩みたいと思います。

        2016年 元旦  

    社会福祉法人鳥取こども学園常務理事・園長(全国児童養護施設協議会会長) 藤野興一 


    2016.01.01

  • 第14回 「鳥取養育研究所の学園歴史資料整理、そして研究へ」 鳥取こども学園 山本隆史

     鳥取こども学園の前身である鳥取孤児院が1906(明治39)年1月13日に創設されて来年で110周年の節目を迎えます。この長い歴史の中でたくさんの文書、書籍、写真が数年前まで、きちんと整理されることなく保管されてきました。
     そのような中、山陰の児童福祉史研究のための資料を探されていた徳山大学の小池桂先生(現、京都ノートルダム女子大学教授)との貴重な出会いがありました。小池先生より、鳥取県は中国5県の中で、唯一社会福祉通史の研究がない県であり、鳥取県内主要機関には、ほとんど資料が残されていないのとのこと。
     先生のご協力・ご助言をいただきながら平成20年度から鳥取養育研究所の事業として、まずはどのような資料があるのか整理から開始いたしました。保管については劣化の激しい資料もあることから、まずは全文書類のデジカメによる複写が昨年度に完了し、いわばある程度研究の土台作りができたところです。
     歴史分析なくして、現在の社会福祉を客観的に捉えることはできませんし、何よりも展望ある未来を描くことはできません。今後はこれらの資料の公開方法、この資料に基づく鳥取県の社会福祉史の研究と勉強会ということがメインになります。

    【保管されている写真から見える1コマ】
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     写真のモーニングコートにシルクハット姿で子どもたちに挨拶をしている人物が、第19代内閣総理大臣、「平民宰相」として有名な原敬です。その左の和装の人物が鳥取こども学園の創立者尾崎信太郎です。私が、データ化された文書類を調べてみましたが、どこにも原敬が鳥取育児院に来訪したという記載を見つけることができていません。
     そこで、『原敬日記(はらけいにっき)』を調べてみると原敬は、2度鳥取を来訪しています。一度は明治40年(1907)5月4日~5日。内務大臣として皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の行啓沿道を事前視察する、いわゆる皇太子宿泊所となる池田侯爵別邸扇御殿等がきちんと整備されているかどうかの確認視察のためです。この宿泊所扇御殿が、現在のの『仁風閣』です。もう一度は、明治45年(1912)。内務大臣と兼務していた鉄道院総裁として山陰鉄道開通式のために鳥取を来訪しています。
     但し、この「原敬日記」には、いずれの来鳥についても「鳥取育児院」という文言は出てきません。
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     もう1つの写真は、内務省より感化救済事業奨励助成金が下付された旨を記した送付状のようですが、日付が明治44年11月3日となっています。これより3年前、明治41年から内務省は民間慈善を奨励することを目的に、この助成金を民間事業団体に下付しています。明治45年の来鳥時に、奨励助成金を下付した鳥取育児院が、鳥取県庁舎と同じ鳥取市東町にあるので、内務大臣として視察したのでは・・・と考えられますが、あくまで私見ですので、真実の程は分かりません。


    2015.12.09

  • リレーブログ 第13回 鳥取スマイル(自立援助ホーム)寮長 田村崇

     もうすっかり秋めいてきましたね。私は朝布団から出るのに少し時間がかかるようになってきました。みなさんいかがお過ごしですか? さて、このリレーブログで私の順番が来ました。この機会に私が自立援助ホームで働くようになったきっかけを簡単にお話ししたいと思います。  もう16~7年前のことです。藤野園長に出合い学園を見学した時に、『毎日じゃなくていいからフレンドで生活しないか?』と誘われ、当時学生だった私は週3~4日自立援助ホーム「鳥取フレンド」で生活することを決めました。そこで寮長の山中夫妻との出会いがありました。 藤野園長が出席される日本子どもの虐待防止学会や自立援助ホームの全国大会などにかばん持ちとしてお供させていただき、その行く先々で様々な方々にお会いしてお話を聴き(大半がお酒の席でしたが・・)、これまで自分が知らなかった世界をたくさん経験させていただきました。  お会いした多くの方々には共通点があり、皆さん“エネルギッシュ”でそして、とても“熱い”方々でした(大半がお酒の席でしたが・・・)。学生だった私にはとても重たい話もあったりしましたが、皆さん熱く語り合い、そして議論されていました。圧倒されました。みなさんの本気度というか真剣度というのかわかりませんが、とにかくパワーを感じました(大半がお酒の席でしたが・・・・)。  フレンドでの生活は、私も寮生の一人という感じでした。夕食を食べテレビを見たりほんとだらだらと過ごしていたと思います。消灯時間になりそれぞれが部屋に入る時間がくるのですが、他の寮生が僕の部屋に来てつい話し込んでしまったり、相談を受けたり、一緒にゲームをしたりというような日々でした(消灯時間を守っていなかったのであまり大きな声では言えませんが・・)。  そんな日々を続けながら、いつか自分も自立援助ホームに関わりたいなと思うようになったのです。そのほかにもいろいろな要素や動機はあるのですが、それはまた別の機会があればお話ししますね。  そんな私が今、鳥取スマイルで寮長をしています。今年で11年目です。まだ住み込み時代の感覚で寮生とかかわっているところがあり、もう少し寮長らしくならなければなと感じております。  寮生たちが、自立していくたくましさと、そして思いやりと優しさを感じてくれるような出会いをこれからも続けていきたいと思っております。今後ともよろしくお願いします。

    スマイル・スマイル・スマイル    スマイル・スマイル

     


    2015.10.25