第61回 🐉2024年新年のご挨拶🐉 社会福祉法人鳥取こども学園 常務理事 山本隆史
新たな年、2024年を迎えました。
とはいえ、そんなお正月気分が吹き飛んでしまう出来事が2日続けて起きました。。
まずは、令和6年能登半島地震において犠牲となられた方々におくやみを申し上げるとともに、被災されたすべての方々に心よりお見舞い申し上げます。2008年に開催された日本キリスト教社会事業同盟第7回中堅職員研修会は会場が石川県七尾市和倉温泉でした。訪れた場所が大変な状況になっており、大変心が痛みます。
被災地域の皆様の安全の確保とその後の1日も早い復旧を心よりお祈りいたします。
鳥取市東町から移転後、昭和20年代前半のの鳥取こども学園。今は無い橋が架かっています。
さて、昨年の話をするのはいかがかと思うのですが・・・。
昨年のNHK大河ドラマ「どうする家康」、言うまでもなく260余年続いた江戸幕府の創始者、德川家康の物語です。日本史、とりわけ織豊期から江戸初期が好きな私は、全ての回を視聴したわけですが、私は2人の人物について取り上げます。
まず、1人目は森崎ウィンさんが演じた「德川秀忠」。父家康には言うに及ばず、息子の三代将軍家光の陰に隠れてマイナーな二代将軍です。しかし、実は江戸幕府を260余年続く長期政権たらしめたのは、この秀忠であるとの歴史的評価です。そして秀忠を表す言葉が「守成」と言われています。「守成」、 中国唐代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録の『貞観政要』の「創業は易く守成は難し」からの言葉です。「新しく事業を始めるのも難しいが、その事業を維持し、堅固なものにしていくほうがはるかに難しいこと」の意味です。秀忠は、家康の死後、家康でさえ出来なかった、全国の外様大名の整理と朝廷、寺社を幕府の統制下に置くこと等を粛々と行い、江戸幕府を260余年続く堅固なものとしました。「難し」とされた「守成」を成し遂げた名将であったと言えます。
そして、2人目は松山ケンイチさんが演じた「本多正信」。正信が、まだ若かりし時に起きた「三河一向一揆」では、主君である家康ではなく一揆側に付いています。ドラマでもそうでしたが、一揆鎮圧後に追放され流浪の生活を約7年送ります。その後、家康に赦され德川家のために尽くすようになります。その後の正信は、「有事には軍略家として、平時には統治者を支える者として活躍し、君臣の間を魚のように行き来し、人間関係を風通しの良いものにした、江戸幕府樹立の陰の立役者」と評される、まさにスーパーアシスタント的(補佐役)な名将でありました。
同じような位置から撮影してみました。現在は乳児院の生活棟が建っています。もちろん橋はありません。
さて、昨年私たちは、鳥取こども学園のみならず日本の社会的養護をリードしてきた大きな存在を失いました。しかし、鳥取こども学園、そして先人が理念である「愛」の精神の元、「いと小さくされた者」に寄り添い、共に歩んできたその歩みを停めるわけにはいきません。「こども大綱」が昨年12月に閣議決定され、改正児童福祉法が今年の4月1日に施行されます。また、「鳥取県社会的養育推進計画」見直しの年でもあります。その他、この2024年は、これまで以上に児童福祉、社会的養護が大きく変化する年であると言っても過言ではありません。
現在、鳥取こども学園は、新たなリーダーの元、これからの激動の時代に、しっかりと私たちの役割が果たせるよう2024年ら2028年までの「第3次5カ年計画」の制定に取り組んでいます。今までの歩みを受け継ぎながらも、しっかりとその時代時代のニーズに応えるべく、鳥取こども学園のこれからの歩みを確固たるものにしていかねばなりません。まさに「守成」の歩みと言えます。私も常務理事として、しっかりとその歩みをアシストしていきたいと考えております。
まもなく社会福祉法人鳥取こども学園は、創立118周年の日を迎え、119年目の歩みを始めます。それには、子どもたち、利用者のみなさん、役職員一丸となって進んでいかねばなりません。と同時に地域の皆様のお力添えが欠かせません。
何卒、2024年も皆様におかれましては、社会福祉法人鳥取こども学園にご理解とご支援いただきますよう、そして、私にはご指導ご鞭撻のほど、ひたすらお願い申し上げます。
2024.01.09