おじさんとして希望館で生きる
希望館 女子ブロック長兼副館長
水野壮一
わしは今年で50歳。子ども達と若々しい職員に囲まれているため。ついつい自分も若いと勘違いしてしまうところがあるが、誰から見ても、どう考えても「おじさん」だ。このジェンダーレスの時代にあっても何故か「おじさん」というカテゴライズは消滅しない。わしはその真っただ中にいる。
実は希望館でおじさんとして生きることには結構苦労が多いのだ。先述した通りみんなが若々しく、みずみずしい感性とか無尽蔵の体力とかITの親和性とか、わしに無いものを持っているのですぐに浮いてしまう。
最近みんながわしに見せる笑顔のほとんどは苦笑いか愛想笑い…きっと子ども達にも職員のみなさんにも気を使われている。何とか「おじさんからの脱却」を図るも、所作やセンスの一つ一つからとめどなく溢れるおじさん感は、如何(いかん)ともしがたいようだ。これ以上自分のことを書くとへこむので、希望館で必死に生きている他のおじさん達の生態をレポートしようと思う。
あるホーム長さん。(名を秘す)わしと同じ50歳だがルックスは若く、48歳にしか見えない。彼は子どもや若い職員に大切な話をする時に、高倉健や菅原文太、ドラマ「北の国から」や映画「男はつらいよ」やゴルゴ13のエピソードをふんだんに盛り込むという、おじさん特有の癖が出る。当然、相手のリアクションは百発百中で「知らなーい」「よく分からなーい」となるのだが、何故か彼はそれにショックを受けている。そりゃそうだろう、中学生女子に「高倉健のように背中で語ることの大切さ」を説いたり、20代の女性職員に「泥のついた一万円札」(北の国から)の話をして、何をどう分かり合おうというのだ。ショックを受けるべきはそのセンスだろうに、と思う。でも彼はこれから先もぶれずに健さんを例として「人としての在りよう」を語り続けるだろう。
希望館の主任事務員さん。(特に名を秘す)事務方という立場から希望館の未来や運営を見据え、粘り強く働きを紡ぐ。しかも備品や設備の修繕も担い、不具合があると工具箱を持って駆けつけ、今は診療所の事務も手伝っている。それをアピールすることはせず、仕事に責任とプライドを持ち、「黙ってやることをやる」職人タイプのおじさんだ。運営やお金などについて難しいテーマを抱えているので、わしが顔を合わせる会議ではほとんど笑顔はない。きっと笑えない状況なのだろう、苦労ばかりかけてごめん。でも、希望館の子ども達と接する時は、とんでもなくチャーミングな笑顔を見せる。わしを含めてごく一部の職員はそのギャップに萌えるのであった。おじさんがおじさんに癒されてどうする、と思う。
希望館の児童精神科医(バレバレだけど名は秘す)は一見柔和で「おじさま」タイプだが、LINEで松田優作のスタンプを送ってきたりする。ミスチル好きで有名だが、15年前に1度だけご一緒したカラオケでは舟木一夫の「高校三年生」を歌い上げていた。どっちやねん。
優しさと頑固さは相反するように思われがちだが、不思議なことにどちらも持ち合わせている。とにかく子ども達や患者さまの立場に立つことを徹底するし、子ども達の声にはニコニコして耳を傾けるし、そのためのハードワークを厭わない。優しさの固まりみたいな人だ。一方でわしが心配して「お身体のことも考えてご無理なさらず…」と進言するのだが、頑固だからちっとも聞き入れてくれないのである。もう放っておこうかと思う(放っておかないけど)その人柄に魅了されつつも、優しいのか頑固なのかどっちやねん。と思う。
もう一人の男性副館長兼副園長(意地でも名を秘す)もおじさんだ。頭が良くて論理的思考に長け問題解決能力が高いうえに、情に厚く優しいのでみんなから頼りにされている。だが油断してはならない。彼は「人の話を聞かないおじさん」なのだ。思考回路がフル回転して考えに没頭して人の話が聞こえなくなる。月に2回は「ケンイチさん?聞いてますか?」「…ん?ゴメン」というシーンを見る。
わしはこの現象に「ケンイチ無双」と勝手に名付けている。こうなったら彼の考えがまとまるまでみんな静かに待つしかないのだ。長い付き合いで分かったことだが、彼はその相談に親身になればなるほど夢想=無双となる。優しさからくる現象なので、最近はケンイチ無双が始まると温かい気持ちになる自分がいる。
※文章力の低さから名を秘しきれなかったことをお詫びします。ごめんなさい。
このようにバラエティーに富んだおじさんたちは、周囲から浮いたり苦笑いされつつも希望館で生き、みんなと手をつないで輪となっている。そして、その輪の中心にいる子どもたちが笑顔でいることをおじさん一同、心から願っているのだ。
2021.11.21