池田のお父さんとの想い出 | 社会福祉法人 鳥取こども学園社会福祉法人 鳥取こども学園

社会福祉法人 鳥取こども学園は、キリスト教精神にもとづいて創立されました。その基本理念は『愛』です。

TEL. 0857-22-4200
ホーム > 里親支援とっとりブログ > 池田のお父さんとの想い出

里親支援とっとりブログ

池田のお父さんとの想い出

里親支援とっとり 所長 遠藤信彦

 

 2月に、鳥取県里親会東部部会の事務局を長年務め、会の発展に大きく寄与された池田晴隆里父が、闘病の末、逝去されました。葬儀には、里父の関係者をはじめとして、鳥取県の多くの里親並びに関係機関の職員が参列し、また、県外の里親関係者からも弔電が届きました。

 十年近く前のこと、それまで児童相談所が受け持っていた里親会事務局業務が、里親個人に移管されることになり、大変な引き継ぎの作業がありましたが、自ら進んで引き受けられ、様々な機関とのコーディネートに奔走されました。そして、里親自らが会の活動を企画し、運営することの有用性を、身をもって実証されました。

 里親としての養育、里親会の運営についての功績は語り尽くせませんし、多くの方が知るところですが、僕個人の思い出があります。池田のお父さんとの出会いは7年前、初めて東部部会の総会に出席した時です。たどたどしく当所の業務を説明したところ、「おまえに、本当に里親支援が出来るのか?!わしは思わん!」と机を叩かれるという手荒い洗礼を受けました。その日からというもの、毎日のように来所され「あれはどうなっとる!?これはどうするんだ!?」と詰問されました。様々な事業を一緒に取り組み、都度都度、酒を飲み交わし、意見を交わすにつれ、心置きない間柄になっていました。僕は、こういった行政事務的な業務が初めてでしたので、不備や、配慮が足りないことが多々あり、関係者からお叱りを受け、凹むことも多かったのですが、一年と少し経った頃、このことを話したところ、あれだけ「わしは思わん!」「どうなっとる?!」と詰め寄っていたお父さんが「いや!おまえは!ようやっとる!」と言って下さいました。ずいぶん前のことですが、この時のことは忘れることはありません。

 また、工作にまつわる想い出話がたくさんあります。自動車整備士の経験を活かし、家にいらっしゃる時はいつも、お家のガレージの工房で、何かを作ったり、直したりしていらっしゃいました。

 当法人の、子どものおもちゃや、カウンセリングルームのおもちゃなども直してくださっていました。いつも「古希(こき)をこきつかって!」と駄洒落混じりの不平を言う割に、かなり迅速に修理して下さいました。僕が知っているだけでも、乳児部の職員が泊まり勤務の際に使う電気スタンド、幼児が乗って足で漕ぐ乗り物、降雨の重さに堪えきれず支柱が折れてしまった、バザーやもちつきなどの行事に使うポップアップテントなどなど、枚挙に暇がありません。

 筒状になっていて、底にファンがあり、スイッチを入れると軽い素材で作ったおさかながちょっとずつ上部から飛び出してきて、たもですくうというおもちゃがあったのですが、調子が悪くなり修理を頼んだところ「おい!のぶひこくん!ファンの羽根を3枚から4枚に増やしておいたからな!」とおっしゃるので試してみると、風のパワーが強すぎ、ちょっとずつ、一匹ずつ出てくるはずのおさかなが「ドバッ!」と全匹吹き出し、捕まえる難易度が大変高くなっていたなんて笑い話もあります。

 長年、会長を務めていらっしゃった、「おもちゃの病院」でのエピソードもおもしろかったです。「ぬいぐるみを裁縫して治すスタッフは『外科医』、電子部品のプログラムを書き換えてエラーを治すスタッフは『神経医』とか言うのだぞ」とか、「ある日『外科医』が、小さな女の子がクマのぬいぐるみを治してくださいと持ってきたところ『よしよし!』とばかりに女の子の眼の前で『ガバッ』とぬいぐるみの皮を剥がし、中の詰め物だけにしてしまったら、女の子が、『こんなのわたしのクマちゃんじゃない!』とショックを受け、泣いて帰ってしまった。『外科医』はこのことに反省し、それからは、『外科手術』をする時は、『ではオペ室にはいりまーす』と、子どもの眼から隠すことにしたんだよ」とか、「『神経医』たちは、電子部品をコンピューターに繋いでプログラムを書き換えたりして修理する。わしはネジや歯車なんかが専門だからあいつらがやってるデジタルなことはよくわからん!」などなど、子どもが喜ぶ顔見たさに、ボランティアに勤しむスタッフの方々の熱意とユーモアが溢れていました。

 当法人のバザーでも、「こんなこともやってみよう!あんなこともやってみよう!」と、たくさんの企画を提案されました。本物の弓と矢をミニチュアにして、矢が当たると「パタン!」と倒れる精密な的とのセットで繰り広げられる「射的ゲーム」や、上部にある複数のひもを引っ張ると、ボックスの中から何かしらの景品がランダムでひっぱりあげられる「もうつれんゲーム」は、今やバザー定番模擬店として、毎年多くの子どもが来店します。(ちなみに「ひもが、もつれない」と「もう釣れない」と駄洒落でひっかけてあります)

 こんな話を、僕よりもっと昔の池田里父を知っている、学園を退所された方に聞いたところ、「あの人は何十年も昔から、次は何を作って子どもを喜ばせてやろう!って、やっていた」とのことでした。

 僕も工作を嗜んでいますので、作業を見学していると、「この幼児ちゃんが乗るおもちゃの車は、負荷がかかる部分をもっと補強せんといかん!幼児ちゃんの手にあたって怪我せんよう、隠してアルミの芯棒を入れよう!」「このそうめん流しの竹は、食べるとき子どもが触るから、かどのバリをとっとかないかん!」と、工夫を解説して下さいました。

 九州男児らしい、豪放磊落な物言いに反して、実は、大変細やかに、子どもの育ちと、人と人との関わりを見つめていらっしゃる方でしたので、まるで、隠して芯棒で補強するように、竹のバリを削り滑らかにしておくように、人知れず、たくさんの方を気遣い、間をとりもっていらっしゃいました。

 一人一人と丁寧に、膝を突き合わせて熱く対話されるその生き様は、多くの方から信頼を寄せられました。池田のお父さんの葬儀を執り行った葬儀社は、故人を偲んで短歌を詠みます。池田のお父さんについては

 

子どもらに

笑顔と安らぎ与えんと

熱き想いは 

仲間の輪広げ

うたわれました。

 池田のお母さんへの、ほんの短い聞き取りで、たった31文字で、よくぞこんなに、この方の生き様をあらわしたものだと、プロの、胸を打つ、ハートのこもった仕事に感心しました。

 この歌を胸に、残された我々は、使命を全うしたいと思います。

 在りし日の、あの人情溢れるどら声を偲び、学んだ教えにもとるところはないか日々かえりみながら、業務に取り組んでいます。

 

 

 

 

 


2018.06.01